しな織とは

Wisdom  of  humankind  who  has  coexisted  with  nature

しな布

生命の宿る布

~The oldest Japanese textile~

シナノキ、オオバボダイジュの木の皮から糸を績み、布となるしな布は、日本の最古の織物の一つであり、「原始布」「古代布」とも言われています。木綿や絹が普及する以前、布は山野に自生する麻やしな等の野生繊維で作られていました。特に樹皮から取るしなの繊維は丈夫で水にも強い特性を持っていたことから、寝具、穀物入れ、漁網、調味料の漉し袋など生活必需品として様々に活用されてきました。
木の皮を剥ぐことから始まる布作りの工程は全て手作業でおこなわれ、約一年をかけて織りあがります。かつては日本各地で織られていましたが、非常に手間ひまのかかる仕事のため各地から消え去り、 今では山形と新潟の県境の三つの村(関川・雷・山熊田)でしか織られていません。

自然との共生

~Coexistence with nature~

山里の人々の暮らしは自然の恵みを神から享受するもので、四季のサイクルが暮らしの礎でした。生活の手段となるものは全て山の恵みであり、神からの預かり物であるという考えが根本にあります。木を全て切るなど自然を乱すことはなく、人間もあくまで自然の一部であるという考え方からは、自然に対する畏敬の念を感じます。全てが経験に基づいた目分量や手先の感覚で進められていく。しな織の仕事には、人間の手仕事全般に繋がるような大切な何かがあります。 古代からの伝統によって、古代人の思いまでも感じさせるしな織は単なる布ではないのです。現代人にとって、立ち止まり、振り返るきっかけとなるものなのではないでしょうか。

枠移し
しなを織る

織るということは 生きるということ

~To Weave is to Live~

大昔の日本人が衣服素材として用いていたのは、麻・苧麻・葛・藤・楮・しななどの植物繊維でした。江戸中期、日本国内で木綿が普及しますが、しな布が織られている関川、雷、山熊田など寒冷な地域は綿花が育たず、綿はとても貴重なものでした。東北地方で刺し子や裂き織りが受け継がれているのはこうした背景があったからでした。近代以降、高機能な化学繊維の開発、戦後の高度経済成長にともなった都市部への人口の流入により山村は荒廃し、それによりこれら植物繊維の織物(自然布)の需要は激減し、急速にその姿を消していきました。しかし、かつては食物や家よりも重要だったものが布でした。「女が何枚布を織れるかが何人生きられるかに繋がる」と言われたほどです。

シナノキ

シナノキ

~Linden~

シナノキ属は北半球の温帯地域に30種ほどあります。 シナノキの学名はラテン語でTiliaといい、繊維、布を意味します。 このような点から欧米、ロシア、中国などシナノキが育つ地域ではしな布の利用があったのではないでしょうか。 古代のゲルマン人やスラブ人はシナノキを神聖視し、特にドイツではシナノキの下で裁判がおこなわれ、しばしば村や町の象徴とされたそうです。 現在でも街路樹として植栽され、シューベルトの歌曲『菩提樹』のテーマとなりました。また、花葉はリラックスティーとして愛飲され、木工品の材料、教会の装飾品や神像の彫刻材としても利用されているそうです。 洋の東西を問わず人間の営みは似かよっており、創意工夫を重ねた到達点は同じなのかもしれません。現在でも人々に親しまれ、活用されているシナノキですから、世界各地でしな布が織られていたという事実があっても不思議ではないでしょう。

現代のしな布作品

~Contemporary works~

かつては衣料の他、生活の道具として使われていたしな布ですが、現代では様々な製品に生まれ変わっています。しな布独自の素材感と生成りの色艶のしな布の魅力は普遍性があり、世代を超えて受け入れられる要素があります。
しな布の特性を活かし、現代の洗練されたデザインで「古代の布を現代に」甦らせ、これからもこの伝統が続いていくように素晴らしいものづくりを心がけます。

しな織製品 集合写真