山深いしな織の里は、その地域のほとんどを山林が占めており、四季を通じてその山の恵みを受けた文化が生業になって息づいています。正月にはトチの木に祀られた山の神にお酒を供え、春先に熊を捕え、山菜を採り、梅雨時にはシナノキを伐採し、樹皮を剥ぎ、夏に杉林の焼き畑、秋には焼き畑の赤カブ、キノコ、山芋などを採取し、冬にしなを織ります。
シナノキを伐採し皮から繊維を取り、その後のしな糸作り、機織りまでの工程が、山仕事や農作業の時期を上手く外しながら一年の暦に無理なく組み込まれているのです。
しな織とは
シナノキの中皮を糸にして織りあげた山形県のしな布は、沖縄県の芭蕉布、静岡県の葛布と共に日本の三大古代布の一つに数えられています。 しな布は縄文・弥生時代からの織物の技術を今に伝え、素朴な手ざわり、自然のおりなす色、丈夫で水に強い、という特性があり、かつては衣類や穀物袋・魚袋・畳糸 等に用いられてきました。
山里の生活暦


結(ゆい)の文化
厳しい自然環境の中で人間は一人で生きていくことはできず、助け合わなければなりません。その助け合いが、古来から伝わる「結」と称される共同作業でした。「結」は一軒の家に集まり、その家の作業を手伝います。それがしなの糸作りにも活かされていて、友人や親戚が各自の糸車を持参して五、六人集まり、その家の糸作りを手伝います。冬の豪雪でこの地域は陸の孤島になります。この閉鎖された社会環境と、互助精神である「結」がしな織を存続させました。
しな織創芸石田
1990(平成2)年、創業者石田誠は『残したい日本のホンモノ』として、地元・鶴岡で織り継がれている伝統的工芸品「羽越しな布」を後世に伝えるためにしな織創芸石田を創業しました。