経糸緯糸(たていとよこいと)

しな織プロデューサーの石田誠の軌跡

しな織の普及と発展に生涯をかけた、元しな織創芸石田の代表で
しな織プロデューサーの石田誠は、平成24年4月29日に永眠いたしました。
故人の生前を偲び、活動の軌跡の一部をご紹介させていただきます。

◆しな織とは

しな織は日本の衣服の原点である。しな織は、山形県温海町関川地区に古くから伝わる伝統の布であるが、沖縄のバショウ布、静岡のクズ布とともに、日本三大古代織りに数えられる。しなの木の樹皮を原料とし、乾燥させ、煮、洗い、糸にして機織りにかけるまで、23もの工程がある。一年がかりの作業である。出来上がった布の色合いは素朴で、織り目は美しい。軽く、通気性に優れ、感触は柔らかいにもかかわらず、耐水性があり、強靭だ。まさに、山里に暮らす人々にとってこの上ない布であり、衣服、魚網、布団など、用途の幅は広い。

◆自然との共生

山里の人々の暮らしは、自然の恵みを神から享受するものである。四季のサイクルが暮らしの礎であった。生活の手段となるものはすべて自然の恵みであり、神からの預かり物であるという考え方である。木をすべて切るなど自然を乱すことはなく、人間もあくまで自然の一部であるという、自然に対する畏敬の念をすら感じる。そしてそれは同時に、我々に安らぎを与えるのだ。人々の副収入源として生活の一部になったしな織もまた、そのような考えの上にある。しな織を手に取ったとき、人間の原点に返ったかのような感触を得ることが出来るのは、しな織の持つ古代からの伝統が、古代人の思いまでも感じさせるからであろう。しな織は単なる布ではない。現代人にとって、立ち止まり、振り返るきっかけとなるのだ。

◆私としな織

私としな織との出会いは学生時代に遡る。駒場の日本民藝館で、芹沢けいすけ氏が染めたしな織を見たのが最初である。作品の素晴らしさと、ふるさと庄内で織られたものであるという驚きによって、しな織は大きな感動となり私の胸に刻まれた。まさに私の人生を変えた出会いと言うことができる。

しな織の里、鶴岡市関川地区で、
しなの木と在りし日の石田誠

◆プロデューサーとして

しな織は述べてきたように素晴らしい素材である。
しかしながら、お土産品や民芸品の域にとどまっていた。素材の特性を活かし、質の高い伝統工芸品として、日本中・世界中に広めることはできないだろうか。郷里の鶴岡市大山に帰り、家業の呉服店経営を受け継いだ私は、家業の傍ら、そのことを考え続けた。そしてまず、素材の特性を十分に発揮できる商品の開発を考えた。帽子、バッグ、帯など、布本来の商品はもちろん、のれんや照明具といったインテリア商品の開発も手がけてみた。つぎにデザインである。現代的で洗練された商品開発のために、呉服店の人脈を頼って、ファッション性の高い、しかも伝統美を感じさせるデザインを研究した。そして出来上がった商品は、全国主要都市の百貨店や専門店で取り扱われるようになり、しな織への関心と評価は、予想以上に高まっている。

◆そして未来へ

わが国、そして山形で、数多くの伝統工芸が歴史を受け継ぎ、今もなお息づいている。しかし、移り変わる時代の中で、その存続が困難になっているものも少なくない。だが一方、新進工芸作家が、多岐にわたる分野でめざましい活躍をしている。慌しい今のこの時代、工芸品に安らぎを見出す人が増えていることは確実なのだ。伝統であれ新進であれ、時代の感性に応え、さらに次世代へ引き継いで行ける物を生み出さなければならない。伝統工芸品としての品格を保ちつつ、時代が求める機能とデザインを備え、作家の思いを後世にまでも伝えていくこと、それが私の目標である。消費者との対話、販路の拡大という努力を重ねながら、しな織作家としての「石田誠」を確立し、地元・大山という小さな町から、世界に長く愛される工芸品を生み出し続けたい。

〈プロフィール〉

1954年12月13日山形県鶴岡市大山生まれ 県立鶴岡南高校-青山学院大学経済学部卒業
明治5年創業の呉服屋「大山石田屋」五代目 平成2年「丸石産業」設立
平成4年「しな織ギャラリー石田屋」開設 以後、しな織プロデューサーとして
しな織商品の開発、普及に尽力。平成24年4月29日、病気のため永眠。

しな織りプロデューサー石田誠の軌跡

  • 創芸ギャラリー結
  • しな布のお手入れ方法

PAGE TOP